ヘア写真集50万部!20歳[涙ヌード]の裏ドラマ

 

 

菅野美穂のヘアヌード写真集「NUDITY」は、初版10万部を発売日に売り尽くして、ついに50万部を突破した。そんな中、ひときわ耳目を集めたのが彼女の「涙の会見」だった。あの涙の意味は?撮影の裏舞台を再現する。Asagei97121.jpg (26778 バイト)

「友達にも内緒にしてたんです」と言うなり突然涙があふれて

このままいけば、宮沢りえ「サンタ・フェ」の155万部はともかく、樋口可南子「ウォーター・フルーツ」55万部、川島なお美「ウーマン」50万部を抜くのは時間の問題だといえるだろう(※1)。それほど彼女の写真集は社会現象となっているのだ。「ヒットの理由は、清純派の菅野がヘアヌードになった意外性、それまで水着になるのも拒んでいたために関心をそそった、などが挙げられていますが、やはりインパクトがあったのは菅野が会見で感極まってことばにつまり大泣きして例の件でしょう。テレビのワイドショーやスポーツ紙でも大きく取り上げられ、大変な宣伝効果だった。菅野の涙の意味、なぜ泣いたのかをみんなが勝手に想像をたくましくしてくれたからね。筋書きを書いた仕掛け人がいるなら、みごとな販売戦略です」(出版関係者)

菅野の写真集は版元がパブリシティ掲載を一切認めなかった(菅野が泣いたのも無断でヘアヌードを転載した一部マスコミに抗議する緊急会見の席上)。そのため、写真集を入手する事が出来た一部の人たちを除くと、写真集の内容や正確な情報は一般にはほとんど伝わらなかった。代わりに伝わったのは、泣き崩れる菅野の姿とゲリラ的に掲載された数カットのヘアヌード写真だった。

「菅野はなぜ泣いたのか、またヌードになった理由を巡って様々な情報が流れました。菅野の自宅やプライベートな場所を中心に極秘で撮影されていることから、カメラマンの宮澤正明氏との熱愛説。菅野は会見で『好きな人以外の前で裸を見せるのは、やはり抵抗がありました』と熱愛説を全面否定しましたが、蜜室の中で裸になって2人きりの撮影、しかも寝起きの場万や風呂場でのシーンまであれば、世間はなかなかその言葉どおりには受け取りません。経営危機の所属事務所がヘアヌードを押しつけたという説、負債を抱えた宮澤氏を救うために菅野が一肌脱いだという説までありました」(芸能記者)

両手で顔を覆い、5分間にもわたって泣きじゃくった菅野の姿が、これらの憶測に格好の材料を提供してしまった。菅野はこんなに後悔している、よほどの苦しい事情が会ったのだろう、きっと・・・・・というわけだ。

菅野が泣き出してしまったときの状況を再現してみよう。写真集発売前にヘアヌード写真を転載した一部スポーツ紙、雑誌などに対し抗議するために聞かれたこの会見で、菅野は質問に対し、最初は気丈に答えていた。それが一転したのは、「ヌードになったことに、お友達はどう言ってますか」と質問されたときだった。「友達の小嶺麗奈賛から手紙をもらって、カッコ良かったと言ってくれて・・・・・。事務所との約束で誰にも言えなくて、友達にも内緒にしてたんです。怒られるかなと思ったら、みんな喜んでくれて・・・・・」菅野はそこまで言うと、突然涙があふれ、あとは言葉にならなかった。このときの胸中を聞かれた菅野はその後、何度も同じ答えを繰り返している。「今回、友達にはぜんぜん相談しなかったから、それだけが心配だったんです。でも、友達がくれた手紙に『カッコよかったよ』と書いてあって、そのことを言おうとしたら感極まってしまったんです」そこで、写真集の撮影開始から完成するまでの経過を出来る限り忠実にフォローしてお届けしたい。そうすれば、菅野美穂の胸中に少しなりとも接近する事が出来るかもしれない。

ジェットコースターでの撮影は使い捨てカメラだった

写真集「NUDITY」は全144頁。その約3割がヌードという構成だ。最も早い時期に撮影されたのは、96年3月に行われた高校の卒業式での菅野のスナップだが、宮澤正明カメラマン撮影による菅野美穂の写真集が生まれるそもそものきっかけは、さらにさかのぼって95年11月、週刊ビッグコミックスピリッツの新春4号の為のグラビア撮影だった。このとき初めて菅野を撮った宮澤氏は、モデルとしての菅野にたちまち魅了される。さっそく菅野の所属事務所に、卒業式の写真を撮らせてほしい旨、申し込んだ。別に世に出すつもりもないが、記録として撮っておきたい。菅野は被写体として最高−熱っぽく訴える宮澤氏に、ついに事務所も折れ、撮影が実現する。

(※1)11月22日現在、販売数は公称54万部

<96年3月>菅野の高校卒業式

埼玉県内にある菅野の母校はミッションスクールならぬ仏教系の女子校。中学生時代から「桜っ子クラブ」の一員として芸能界デビュー果たしていた彼女が、埼玉では指折りの進学校として知られる名門女子校に進学していたのには正直、驚かされる。菅野はクラスメートとともに、すまして記念撮影に収まっている。撮った写真はアルバムにして手渡され、菅野も素直に喜んだ。

<96年8月>菅野19歳のバースディ

卒業式から5ヶ月が過ぎ、再度、宮澤氏からラブコール。このとき撮った、ケーキのろうそくの火を吹き消そうとするショットが写真集の巻頭を飾った。

<96年9月>伊豆・下田

最少のスタッフで撮影が行われた。が、この時点ではまだ写真集という形になれば最高だが、それは本人しだいということだった。無理強いせず、菅野自身の考えていることをよく聞きながら、それをそのまま撮っていきたいとする宮澤氏の提案が受け入れられたのだ。夏のシーンが終わり、犬と散歩するおじさんが1人いたくらいの寂しい海岸で、波打ち際にたたずむ菅野の写真が撮られた。

<96年10月>首都圏の某遊園地

撮影を重ねるうちにカメラマンとモデル、スタッフの気心が知れてきた。撮影よりも遊びを重視。宮澤氏もモノわかりのいいところを見せ、あえてカメラを持ってこなかった。みんなが楽しんでいる雰囲気を壊したくなかったからだという。その代わり、使い捨てカメラで、ジェットコースターで絶叫する菅野のアップを撮る。

<97年2月>ロサンゼルス・サンタモニカ海岸

1〜2月の東京・下北沢での舞台公演を終えた菅野は、仕事でロスへ向かった。最後の1日(予備日)が偶然にもロス入りする宮澤氏の初日と重なった。仕事が順調に進めば、この日をプライベートにあて、撮影もできる。仕事は無事完了。たった1日だけのロスの休日が実現した。

ロスは初めての菅野は、他人の目を気にしなくてすむ気楽さもあって、はしゃぎまくった。ショッピング、遊園地、それからビーチへ。後ろ姿で砂浜に座る白い水着姿は、ここで撮影された。この写真集で唯一の水着写真。海をバックに砂浜に経つ菅野も楽しそうだ。このころになると、彼女はカメラをほとんど意識していない。すっかりメンバーの息が合ってきた。

同時に、メンバーの間で、これだけ撮りだめてきたのだから、形(本)にできたらいいね、といった雰囲気が生まれた。どうせ出すのなら菅野のハタチの誕生日がいい。話は急速に具体化していった。

<97年3月>蔵王スキー場

雪を求めて蔵王へ行く。雪がなくなりかけていたので、上まで登る。事前にロケハンなど行っていないので、菅野を車に乗せて後は行き当たりばったり。こんなことができるのも超少数チームだからだ。好天に恵まれ、雪原ではしゃぐ菅野も元気がいい。

自宅でのヌード撮影が終わるや「おなか空いた!」

ここまでの撮影でヌードはない。特に菅野はもっぱら遊んでいたわけで、仕事という意識があったのかどうか。しかし、これまでの成果は大きかった。チームに仲間意識が生まれたことだ。菅野も営業用でない、とびきりの笑顔を見せるようになった。

自費出版でヘアヌード写真集を出す計画が固まった。自費出版としたのは、菅野が最終的に同意しなかった場合、出版を取りやめることができるからだという。担当マネージャーの小倉がプロデューサーと」発行人を務める。宮澤氏は新たな撮影のために4〜5日に日数を求めてきた。これまでの共同作業で信頼関係を築いているから菅野も乗り気だ。「じゃあ、私の家で撮ろうよ」予想外の菅野のこの言葉で、自宅での撮影が行われることになった。

<97年6月>菅野の自宅マンション

これまでマスコミの自宅撮影を許したことはない。完全NGを貫いてきた。今日は特別な日だ。担当マネージャーが宮澤氏を菅野の自宅の玄関まで送ってきた。「それでは、何かあったらTELしてくださいね」そんな挨拶を交わし、マネージャーは家を出て近くで待機する。菅野にとっても初めて体験するヌード撮影だ。浴室で、キッチンで、ベッドの上で、熱気をはらんだ撮影が続く。数時間後、「撮影終わったよ」菅野からの電話で、チームがわっと押しかけてくる。菅野は以外に元気そうで、「おなか空いた!」という言葉が飛び出した。

<97年6月>宮澤氏の事務所

場所を変えて再び菅野のヌード撮影。様々なバリエーションを試み、大量の撮影を行う。菅野もめまぐるしく表情を変えて、それにこたえる。撮影の合間に裸であぐらをかき、イチゴをパクつく姿がかわいい。

<97年6月>恵比寿のボーリング場

ヌード撮影の合間を縫って遊びもしっかりこなす。カメラマン、モデル、編集者、プロデューサーの少数精鋭4人でゲーム。菅野はゴキゲンで最上級の笑顔を連発していた。下北沢へ出てご飯を食べる。ここでもスナップ撮影。

<97年6月>中目黒のゲームセンター

ほとんど遊んだだけ。たっぷりと遊ぶのも、この写真集の重要なコンセプトだ。

<97年6月>宮澤氏の事務所

撮影は終了して編集作業へ。全部で5万カットもの膨大なベタ焼きを見ながら、使いたいものにシールを貼っていく。菅野がイヤだといったもの、表情が気に入らないものは使わないのが最初からの約束。その信頼関係は最後まで保たれた。厳選された写真を使って、編集担当の米原氏がギリギリのスケジュールで作業に入る。菅野の誕生日、8月22日に何とか間に合いそう。

<8月21日>

誕生日の前日に1日早いマスコミ向けの記念パーティーを開き、ヘアヌード写真集を明日発売することを発表した。波紋と反響が広がる。

<8月22日>

写真集発売。たちまち完売する。

<8月25日>赤坂プリンスホテル

冒頭でも触れたように菅野が泣き崩れた衝撃の会見。反響はさらに広がる。写真集は大ヒット。増販部数がつり上がった。

心配されたヘアヌードによるCM降板はネスレマッキントッシュ社の「キットカット」だけにとどまりそうだ。資生堂、ブリヂストンサイクル、朝日生命は今のところ、おとがめなし。

芸能活動もテレビ、映画とも順調で問題はない。ヘアヌードの大波をやり過ごし、知名度を大幅にアップさせた菅野美穂。涙の代償は案外甘美なものかもしれない。


菅野・宮澤氏のインタビュー記事及び関連記事で事の経緯は語り尽くされた感のあるこの時期に「裏ドラマ」と銘打った記事を載せた別冊アサ芸。憶測の感じられない記事には好感が持てるものの、「裏ドラマ」と呼ぶには烏滸がましい内容。例えば、

@宮澤氏が小倉さんにヌード撮影を依頼したところ「あの子はOKしませんよ」と伝えた事や、菅野が小倉さんに「ヌードを撮ることを決めたの」と伝えた事など具体的な記述が少ない。

A恵比寿のボーリング場ロサンゼルス・サンタモニカ海岸首都圏の某遊園地等の情景描写が関連記事や写真集から容易に想像が出来る域を出ていない。(ボーリング場の精鋭4人は写真のモニターに名前が写っている)

日付が大雑把だったり曖昧な表現が多かったりと「裏ドラマ」としては物足りなさを感じるものの、「NUDITY出版までの歴史年表」として使えるので買っておいて損はないと思います。


BACK