LEE(98.12)この人に会いたくて



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 撮影の合間、食事の手配をしようとリクエストを・・・問いたら、

「あ、私はいいんです。今日はおにぎり持ってきているんです」 と、杏樹さん。

「えっと実は、きのうはとても疲れていたんで、夕ごはん食べた後、そのままリビングでごろ−んと転がったまま、寝込んでしまったんですよ。ええ、彼も一緒に。(笑)で、夜中に”3時だよ”って起こされて、彼はそれから寝ないで仕事するっていうから、私もそのまま起き出して、暇だからごはんを炊いて、6時ごろおにぎり作ったんです。鮭マヨと、明太子を人れて。(笑)それを朝ごはんにして、残りはこうしてランチにしたの」

 新婚の、あったかい暮らしがそのまま、杏樹さんの笑顔と言葉から見えてくる。ホンワカ幸せ気分はその場のスタッフ全員に伝わって、撮影は順調に進んだ。

もうダメかも、と思いながらロンドンで過ごした4年間

 撮影の合間、控え室を覗いてみたら杏樹さん、メイクさんと盛り上がっていた。「今度みんなで、箱根あたりの温泉に行けたらいいねって、話していたんです」

 以前から、仕事で顔を合わせることの多いスタイリストさんやメイクさんが集まって、年に2回くらい、旅を楽しんでいるのだとか。仕切りはもちろん、杏樹さん。ひょっとして、幹事体質?

「そうなんです。(笑)わりとね、ちゃんとできるんですよ。みんなにスケジュール聞いて、一緒に来てくれる家族の人数をチェックして、旅行会社に行って、そんなに高くなく、安過ぎず、15人集まれば団体割引になるし・・・。ええ、全部やりますよ。はかの人に頼むと、その人に責任を押しつけてしまうことになるから、自分でやりたいんです。それに、私が一番行きたがっているから。(笑)」

 おにぎりと言い、幹事と言い、杏樹さんと話していると、彼女が売れっ子の女優であることを忘れてしまいそうになる。

「計画を立てるのが好きなんです。ひと月前くらいから練って練って、ノルマを決めて少しずつ、ちゃんと前に進んでいきたいタイプなんです。そうそう、犬を飼おうって決めた時もまず1年間、犬関係の本をどさっと買い込んで、どんな種類にしようか、どうしつければいいのか、みっちり研究したくらい。(笑)」

 その話を聞いて、思い出した。そう言えば、杏樹さんには厳しい下積み生活があったという話を開いたことがある。10代の後半、かなり長い間、ロンドンでレッスンに明け暮れていたとか。

「ええ、17歳の時に海外からの歌手デビューを目ざして、ロンドンに行ったんです。ひとりでアパートを借りて、ひとりでレッスンに通って」

 杏樹さんと言えは、知的でおっとりした、お嬢様っぼいイメージ。なのにそんなに行動派だったとは!

「でもね、その時はけっこうギリギリのラインでやっていたんですよ。おろおろしながら、もうダメかもって思いながらの行動派なの」

 もうダメかも。そう思いながら過ごしたのは、なんと4年間。

「最初のころは朝から晩まで、ダンスやヴォーカルトレーニングのレッスンを受けていました。プロデューサーと契約してからは、スタジオに適うようになったんですけれど、レコーディングがなかなか決まらなくて、明日かもしれないし、来年かもしれない。いつもスタンバイしている状饉で、風邪もひけないんです。だけどね、暇なんですよ。周りはみんな仕事をしているけれど、私は黙って座っているだけ。何かやりたくて、やらなき ゃいけないような気がして・・・」

 そこで杏樹さん、スタッフ全員の名前と紅茶の好みを覚え、30分おきにお茶を入れ替えた。受信したファクスをコピーして配り、書類をきちんとファイルし直した。何かをしていなければ、いたたまれなかったのだろう。

「それでも悲しくなる時間帯って、あるんですよ。黄昏時になると、いいことも悪いようにしか考えられなくなって・・・。”恥ずかしいけど、ここは潔く、日本に帰ろうかなあ”って、よく考えました。”でもなー”とも思いつつ・・・」

 日本に戻るきっかけとなったのは、湾岸戦争だった。イギリスが参戦したために帰国を命じられ、杏樹さんは一時帰国のつもりで、それに従った。以来ロンドンには、戻っていない。日本には、新しい人生が待っていた。

いまだに自分が結婚しちやってることが、信じられないんです

 帰国してしばらくは、杏樹さんは実家で、久々の自由時間を楽しんだ。

「でも半年が限界でした。歌手の契約はロンドンでしていたので、日本で歌手にはなれなかったけれど、とにかくなんでもいいから仕事がしたかったんです。で、コマーシャルのオーディションを片っ端から受けたんですけど、次々に落ちました。けっこうイバラの道でしたね。(笑)」

 ところが化粧品会社のコマーシャルに1本出てからは、人気がブレイク。テレビ番組のリポーター、司会、とさまざまなジャンルに挑戦し、やがて女優という仕事に巡り会った。「92年ごろ、『十年愛』というドラマに出て、ものすごく私、ヘタだったんですけど、共演した田中美佐子さんや監督に演技というものを教えていただいて、そのおかげで ”もっとやってみたい”って思えたんです。やっと目標が見つかって、うれしかったですね。そうなれば、あとはもう追求していくだけですから」

 以来披女はコンスタントに、テレビドラマに出演してきた。計画を立てるのが大好きで、しかも悩みながらも行動派の彼女なだけに、その姿勢はひたむきだ。

「ドラマに人る前と後とで、自分が変わらなかったらつまらない。何か一つでも成長していたいんです。ドラマを1本終えるたびに一つ、また一つと、重ねてきたような気がします」

 だけど帰国以来7年間、あまりにガムシャラに走り続けてきた彼女は、今年1月とうとう体調を崩し、入院。 アンラッキーには違いないけど、病気には思いがけないおまけがついてきた。それがこの6月の、電撃結婚。相手は手術の時に担当してくれた外科医で、退院後もEメールのやりとりをしているうちに、ごく自然に一緒に暮らすことを選んでいたという。

ひとりでいるより、ふたりでいるほうが、心がホッとするんです

「いまだに結婚したことが、信じられないんです。自分が結婚しちゃってることがウソみたい。まさか結婚できるなんて・・・」

 何度も繰り返す杏樹さん。それほど彼女にとって結婚は、予想外のことだった。

計画するのが好きな杏樹さんだけど、こと恋愛や結婚に関しては計画性よりもハートを優先。そしてその選択は、大正解だったようだ。

「お互いがお互いに、気遣ったり思いやったりしながら、協力し合って生活している気がします。家族以外の人とこうして一緒に住むのって、初めてなんですけど、もっと緊張するかと思っていたら、そんなことなくて、それどころか家に帰ると、ホッとできるんですね。ホッとさせてくれる人と生活できるのって、本当にありがたいなって、思うんです。以前結婚した友だちが ”ひとりでいるより、ふたりでいるはうがラクなの”って言ってたんですが、それって名言ですよね。まさにそんな感じなんです。(笑) でもこういうのって、言葉で説明すればするぼど当たり前のことしか言えなくて、なんかノロケになっちゃって、難しいですね」

 実は杏樹さん、最近、活字恐怖症ぎみ。なにしろ結婚直後から、一部マスコミで”別居!?”と書き立てられたのだから。

「記者会見してからすぐ一緒に幕らし始めて、毎日一緒に晩ごはん食べてるのに、ね。(笑)彼ですか? 彼は笑ってました。”なんか俺は銀座を飲み歩いているらしいよ”って。(笑) でもね、周りの人たちが真剣に心配してくださるんで、申しわけなくて」

 私はもう慣れているからいいんですけど、と杏樹さん。デビュー以来、何度か書き立てられた恋のうわさも、

「全然違うんですよ。そんなこと全然ないんですよ。でもね、おかしかったのは今回、結婚するって報道された時、友だちが ”前にうわさになった、あの人と結婚するんじゃなかったの?”って聞くんです。友だちまでそういうのを信じていたなんて、本当にびっくりしました。(笑)ホントに活字って、怖いですよね・・・。だって、自分の記事を見て ”ウソばっかり!”って言いながら、すぐ次のページにほかの人のことが出ていると、”ふーん、そうなんだあ”って、そっちは信じちゃったりするんですから。(笑)」

 というわけで結婚後の彼との話も、「いろいろな記事が出ると、彼の実家や、勤務先の病院、患者さんたちに、とてもご迷惑をおかけしてしまうので、できるだけ、彼のことには触れないでくださいね」

 とは言うものの、話題はどうしても、彼のことになる。彼に日本料理を教わっている話、彼とショッピングに行く話、食べたいものがいつも不思議と一致してしまう話・・・。ふたりの仲のよさが伝わってくる楽しそうな話題ばかり。

「家ではお互い仕事の話をしないせいか、彼がお医者さんだってこと、つい忘れてしまうんです。こないだも風邪ぎみだったので、近所のお医者さんに行ってくるわって言ったら、彼が ”君はいったい、どこ行くの?”って。私”なんで?”って、言った途端に気がついて、”ああそうだったそうだった。ごめんごめん。ところでノドが痛いんだけど”って。(笑)」

 聞けば開くほど仲よしで、幸せで。だからこそ、この幸せを大事にしたい、と彼女はしみじみと言う。

「子供は”できた時が産み時”かなって思っています。でも、なるべく一緒に過ごしたいから、そうなったら、今のペースで什事はできなくなるかもしれませんね。仕事も大切ですけど、本名の自分の生活も人切にしたいので・・・。どうなるかわかりませんけど。まだまだ先のことだし。(笑)」

 撮影を終えた彼女は、あっという間にメイクを落とし、シックなモノトーンの私服に着替えた。スレ違ってもすぐに彼女とは、気がつかないかもしれない。

「ロンドンにいたころは、派手な服ばかり着ていたんですよ。デビュー前だったから、なんとか自分をアピールしたかったんですよね。真っ赤な口紅とマニキュアで、ミニスカートはいて、アクセサリーもジャラジャラつけて。(笑) それが日本に帰ってからは、ブラウンとかグレイとか、アスファルトに同化するような色ばかり着るようになりました。もう無理してアピールしたくなくて・・・。”あたしは鈴木杏樹です”なんて、思いながら歩いたことはないですし。(笑)普通に歩いていますよ、街を。(笑)」

「お疲れさま」と、彼女がスタジオを去ってから気がついた。撮影をはさんで2時間近く話していたのに、彼女の口からネガティブな言葉は一つも出てこなかったのだ。誰に対しても、悪口もうらみ言も、グチもわがままも、何一つ。それでいて、愛する人の存在を、なんのてらいもなく「ありがたい」と言える彼女。女優である以前に、ひとりの女性として、とても素敵な人だった。


杏樹さん、素敵です。たくさんのインタビュー記事を読んでいると、自分の言葉を持たない人や、いかにもライターさんが校正を加えたことがミエミエのインタビュー記事も見受けますが、杏樹さんは、テレビから伝わってくるイメージそのままの”(人間が)デキた人”だと思います。湾岸戦争の影響で歌手の夢は絶たれてしまったようですが、キレイで行動力があって人格者だから何をやっても成功しちゃいそう。周りも放っておかないでしょうし。菅野にも杏樹さんのような女性になって欲しいですね〜。


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