WPB(98.10.27)円熟アイドル本音インタビュー『大事なことは喋っちゃいけないんですよ』

 

菅野考察〜2年半前のインタビューと比較して菅野を考察してみる〜 Part1

 始まったばかりのドラマ『ソムリエ』(フジ系・火曜22時)に出演中のカンノだが、11月7日には、彼女が重要な役割を演じる映画『落下する夕方』が公開される。

 カンノ扮する華子は奔放かつ繊細な不可思議系美少女である。周囲は、謎が多く生活感の希薄な彼女に翻弄され、惹かれ、人間関係に変化が訪れる。華子の登場によって、それぞれの生活の中で微妙に空気が揺れ始める・・・。そんな、もの静かな映画の役どころについて、まず話は進んだ。

 この作品は出演者が少なくて、しかも女性のスタッフが多かったんですよ。みんなで輪になってお弁当を食べたりとか、映画と同じようにゆっくり時間が流れていくような感じで。すごく楽しい現場でしたね。

 監督も女性の方で、私をすごく信頼してくださって、やりたいようにやってくださいって。今回の役は、どう動くかわからないっていうか、その一瞬一瞬で生きてるコだなと思ったんで、私も現場に行って、そこに立ってから決めようって感じでした。

 華子っていうのは、つかみどころのない役なんですけど、でも、計算してつかみどころがないって思われるように踏ん張ってるところもある。見透かされないようにというか。すごく微妙で曖昧な感じだと思いましたね。

 なんか、ほんと世の中に負けちゃうくらい繊細で、人を傷つけたり、傷ついたりってことさえ平気にできないくらいで。最初はリカさん(原田知世演じる主人公。付き合っていた彼氏を奪った華子が、突然、彼女の部屋にやってきて同居を始める)との関係もちぐはぐだし、大丈夫なのって思ったけど、やってるうちに、こういう友情もあるんだなって。

 彼女は、きっと本当にみんなのことが好きなんだろうけど、誰に対しても何かを恐がってるコなんです。だから、たぶん、分析されたり理解しようとされたりするのもすごくイヤがってたんだと思うし、過去を消してみせてるように努めてたんですよね。

 いいか悪いかは別として、そういうコなんです。演じながら、確実に終わりに向かってるなって切ない感じはしました。逆に、よくこれまで頑破ってこれたなって。もしかして、このお話が始まる前に華子の魂は消えていたのかもしれない。彼女にとってはおまけの人生を生きていたのかもしれないですよね。

 確かに、もっと周りの人間が強引に彼女をつかまえて離さなかったら、なにか救いのようなものもあったのかもしれないけど。

 でも、みんなは華子をとても強い人間だと思っていたから触りたいんだけど触れなかった。それで結果的に、みんな傷ついてしまったんです。

 だから、この映画は白黒はっきりさせるんじやなく、曖昧なものを曖昧なままフィルムに焼いた繊細な物語なんだって気がしましたね。

 ケンカの後の後味の悪い感じというか。イヤだなって思って、笑いにしたりするとか、悪くないと思ってるのにごめんって言ったりするほうが実は楽で、主張することのほうが我慢が必要なんだっていう。

 そんな居心地の悪い状態を我慢してる映画なんだと思いましたね。

 

漢字のつもりで喋ってもカタカナにされて・・・

 

 でも、そんな華子が好きでしたね。実際に友達になれるかどうかは別だけど、彼女の気持ちが私の中に入りやすかったし。

 ただ、彼女に感情移入はできても、私だったら、それでも生きていかなきゃいけないんだって思いますから。なんとかなるじやなくて、なんとかすると思うし。

 結局、きっかけを作っているのは自分だし、人に相談しても答えは自分で出すことだから。人に相談して、それで、あなたは私の人生、責任とってくれるのっていうのも無責任な講じやないですか。

 う−ん、鍛えられたのかな・・・。芸能界に入ってからこういう価値観になったんだなっていうのはすごく感じます。この5〜6年間は、親元で育 てられた15年間よりすごく濃くて。

 今では薄れつつあるけど、ちゃんと考えたら、それはもう確かに去年の写真集のことも大きいと思います。

 19歳くらいの時は、すごく不安定で曖昧で、今、思うとくだらないことに一生懸命で、いちいち因ってました。一応、それは突き抜けましたけど。でも、また同じように悩む時期がくるかもしれないですね、どうせ忘れちゃうから(笑)。

 こういう世界で仕事をすれば、素の自分とのギャップはあって当たり前なのに、あの時は、私だけがこうなのってすごい混乱して。何も見えなくて、こんなんじやないのに、何か違うって思ったり。

 ほんと、どんどんどんどんダメな方向に転がってるなって思い込んでましたから。私は漢字のつもりで喋ってても、なんか勝手にカタカナに直されたりとか。

 あれは、その時の自分に一番かけ離れてることをやってみようって。でも、撮影が終わったところで、自分の中では終わってたものだったんです。けど、かなり頑張ったって思えたし、一冊にして、ちゃんと自分の部屋の本棚に立てかけてあげたいなと。ただ、そう思っただけのことで

すよ。  発売後、いろんなことがあって、あっ、この世界ってこういうとこだったんだって(笑)、いろんな意味で勉強させてもらいました。

 マスメディアとかの影響力も知りましたね。今まで知らずに喋ってたんだ、ああ、怖いなって。ひとつひとつのことに怒ったり悲しんだりもして。そういうことを認めなきゃつて思ったけど、許せるかというとまた違うし・・・。

 でも、必要なものはもう全部、自分の手元にあるし、手の届かない場所にあるものを消したいと思っても消せないんで。私は堂々としていればいいんだって思うようになりました。

 ただ、1年経って、まだ写真集を懐かしいなって思うまで消化してはいないですね。私にとって撮影は意味のあることだったけど、発売自体は無機質なものだったんです。

 裸になったから、服を脱いだからって心まで裸になれるわけではないなと、そういうのも自分の中で確認できましたけど。もうちょつと時間が経ったら、青くて懐かしいなって、そんなふうに見れるのかもしれないですね。

 

みんなが満足する代表作が欲しいんです

 

 2年半前のインタビューで披女は「曲がり角でしたね」と、前の年を振り返っている。朝ドラ『走らんか!』出演、CDデビューと、まさにアイドルとして売り出し中の時期である。しかし、こうして振り返ると、それからカンノはかなりの曲がり角を、しかも、時に急なステップでターンしてきたといえるのではないだろうか。 *1

 だから、いっつも曲がり角だなって思ってます(笑)。曲がり角にしてやるぞ、くらいに思えてるのがいいっていうか(笑)。

 なんかね、やっばり縁もあると思うし、今回の映画もほかの仕事もそうだけど、自分に興味がないことでも、与えられてやってみたらすごく勉強になったとか、肩を叩かれたようになることがあるから。それを返さないと広がっていかないと思うんで、とりあえずやってみて。失敗だと思ったらやめればいいし。

 あの写真集を撮って、出すって決めたことも、後で意味あることにしたりするんだと思えるんですよ。やってる時はそんなこと思わなかったし、あれがあったからこうしなきゃとかも全然思わないけど、今、こう思えるのは自分の経験から得たのかなとか。

 あまり興味がなかったことをやるようになったのも、そういうことからだと思うし。

 ・・・でも、なんかそういうのも微妙で曖昧で、言い方が難しいですよね。私だけの問題じゃなく、見方が変わったりするから。

 結局、自分で書いたりすれば一番いいんでしようけど。また、そこから拾って、なんか記事にされちゃったり・・・。

 だから、大事なことは喋っちゃダメみたいです・・・。

 今ね、とても素敵だなって思ってるプロデューサーの方がいるんですけど、ニコニコしながらさりげなくすごいことをやるんですよ。まあ、さりげなくかどうかは、お仕事だから狙ってるのかもしれないけど。一緒にお仕事していてもイヤな気持ちにさせられないし、こういう大人になれたらいいなって。昔は、ゲーリー・オールドマンとか、そういうカリスマになりたいと思ってたけど、なんか、それは資質が違うから。

 で、今って、若いコが支持してるのって、俳優とかよりミュージシャンが先いってるんですよね。1800円あったらカラオケ行っちゃうし、そういう人たちが映画やったほうが足を運んじやう。それじやいけないんじやないかって思って。

 だから、みんなに共感してもらえないのは何かが足りないってことだけど、役を通して表現できるもので、マニアックでなく大衆芸術として自分も周りも満足できるような代表作ができたらなって。

 なら、もっと違うこともやったほうがいいんだって、最近、思ってはいるんですけど。イッツ・マイ・ペースなんで、いつでも(笑)。

 今やってる『ソムリエ』も楽しんでますよ。でも、「うわっ、これからおもしろいことできる」って顔、私、絶対するから、なんかひとりで楽しんじやいけないなとも思ってるんですけどね(笑)。

*1・・・2年半前のインタビューは明日掲載します


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