婦人公論(99.6.22)「表紙の私」 |
心を解放する 芸能界にデビューしたのは中学三年生 の時ですから、今年で七年になります。 こんなことを言うと親不孝かもしれませ んが、親元で暮らした十五年間より、芸 能界で仕事をするようになってからの七 年間のほうが、吸収したことが多いよう に思います。 やっばり自分で選んだ仕事 だし、意識して物ごとと向き合っている からでしょうか。 仕事をして、いろいろ な人に出会ったことが、今の私のものの 考え方にすごく大きな影響を与えている 気がします。 これはあまりいいことではないのかも しれませんが、むやみやたらと人を信用 しなくなったのも、この世界に人って大 きく変わったことのひとつです。 いい言い方をすると、慎重になったというか。 親元にいて、学生をやっていた時は、や はり守られていたんですね。 でもこの世界 に人ったからには、たとえ十代でも、 自分で物ごとを判断して自分で自分を守 らなくてはいけないし、自分で選んだこ とに対してはきちんと責任をとらなくて はいけない。 いろいろな出来事を通して、そう実感しました。 十五歳といえば、まだ子供です。 アル バイトの経験もOLの経験もなく、世の 中をまったく見ないうちにいきなりこの 世界に人ったのですから、最初の頃は試 行錯誤の連続だったし、人間不信になっ た時期もありました。 でもどんなに才能 があっても、巡り合わせに恵まれず、才 能や夢を諦めなくてはいけない人もいる なかで、私はたまたま運がよく、巡り合 わせがよかったおかげで、今、こうして 仕事ができるわけです。 だから、今与え られたことを大事にして、一生懸命日々 を過ごさなくては、そう思います。 もち ろんあまり忙しいと、休みたいと思うこ ともありますけど、作品がクランクアッ プすると、早く次の作品に入りたくなる。 もっといろいろな役を経験したい、もっ といい芝居ができるようになりたいとい う欲が湧いてきたんでしょうね。 この七年間で、芝居に対する考え方も 少しずつ変わってきました。 以前は、役 になりきるにはどうしたらいいのだろう、 何をしたらいいのだろうと、いつも考え ていました。 でもそう考え過ぎることで 自分の視界をせばめていたし、相手の役 者さんがどんなボールを投げてくるかに よって表現を変えることができなかった んです。 だから気持ちの上では役を大事 にしているつもりが、画面に写っている 私を見ると、結果的には役を大事にでき ていない。 それに気づいてからは、役と自分を切 り離し、役は役、自分は自分といった感 じで、客観的に役を見るようになりまし た。 私に与えられた役は、このドラマの なかでどういう役割なのか、あくまで距 離を置いて考えてみる。 そういうふうに 考えるようになったらずいぶん楽になっ たし、相手の役者さんがボールの投げ方 を変えたら、それに反応できるようにな りました。 呼吸をしながら伸び伸びお芝 居ができるようになったと言えばいいの か。ギュツと張り詰めていたものが、だ んだんほぐれてきた感じです。 画面を見る と、結果的に今の私のほうが、以前よ り役を大事にできているかなという気が します。 いろいろな役者さんがいるし、役に対 するアプローチは人それぞれでしょうけ ど、私の場合は、役づくりのことばかり 考えるより、たとえばロケ現場で海に行 ったらその場の風を感じるとか、そうい うほうがいいみたいです。 その場の空気 や、現場の偶然を拾えるほうがいい。 これって、恋愛と似ているかもしれま せんね。 自分で自分を縛りすぎると、自 然ないい恋ができないけど、心を解放す ると、素敵な恋ができる。 役と自分を切 り離せるようになったおかげで、仕事が 終わって豪に帰ったら、自分の生活を大 事にできるようになったし、時間の使い 方も、以前ょり上手になってきた気がし ます。 人間を演じる面白さ お芝居をする楽しさのひとつは、自分 とは違う人間を生きられること。 特に自 分から遠い人格を演じるのは、面白いで すね。 普投自分では口にしない台詞を口 にするのは、とても新鮮ですし。 六月五日から公開される『催眠』とい う映画では、多重人格症の女性、由香の 役を演じました。 柏手役は、稲垣吾郎さ んです。 多重人格症の役を演じるにあた っては、感情を表現するよりも、具体的 な変化を表現することを求められました。 落合正幸監督臼く、「むきだしの目は脳 の一部なんだ」。だから人格の変化が脳 内で起きていることを、目でお芝居して ください、と。 極端な言い方をすると、 普段、日常生活では使わない筋肉を使っ て芝居しなくてはいけないんです。 とて も大変な役でしたが、監督の演出はすご くこまやかで、私が言葉のニュアンスを つかめないでいると実際にお芝居をして 見せてくださるなど、丁寧に導いていた だいたおかげで、監督が思い描いている 世界になんとかついていくことができた のではないかと思います。 ヒロインの由香は、いろいろな人を巻 き込んでいく役ですが、自分もまた自分 に翻弄されている。 生きている軸がはっ きりしていないというか、普通に立って いることが難しいような女性です。 この作品に出て感じたのは、人間の意 識下にあるものってなんだろう・・・・・ ということでした。 たとえば寝言って、意識 して言ってるわけじゃないですよね。 で も、もしかしたら大事な秘密をしやべっ てしまうかもしれない。 それはひょっと したら、意識下では、しやべりたいと思 っているからかもしれないでしょう。 寝言 は寝ている間のことですけど、起きて いる時にも無意識の部分をコントロール できなくなっていくって、怖いことじゃ ないですか。 監督は、この映画は人間が 壊れていく恐怖を描いているとおっしや ってましたが、ほんと、ある意味では、 人間ほど怖いものってないですよね。だ からこの映画は、サイコホラーではあり ますが、「人間の本質は何か」というこ とを観る人に突きつける、メッセージ性 のある映画だと思います。 生意気言っちゃいますけど、無駄な台 詞がひとつもない脚本なんですよ。 最初 に台本をいただいて読んだ時、ぐいぐい 引き込まれました。 たぶん観た方は、役 から役に問いかけている台詞だけど、自 分に何か問われているような気がすると 思います。 タイトルの『催眠』に関連して言うと、 臨床心理士の技術のひとつで、誰でも練 習すれば上達するそうなんです。 ちなみ に臨床心理士というのは、国家試験によ る資格だそうです。 私もこの映画に出る まではまったく誤解していましたけど、 催眠というと、なんか魔術の一種みたい に思っている人もいますよね。 でも催眠 法は、うまくつきあうと不安を解消でき たり、よりよく自分をコントロールでき るようになる科学技術なんですね。もち ろん技術であるからには、悪用されると、 怖いことにもなりかねませんが。 まあこれ以上『催眠』について話すと、 種明かしをしてしまいそうなので、やめ ておきますけど・・・・・。(笑) 今、テレビの連続ドラマでも、なかな かできない役をやっています。 葉月里緒 菜さんと共演している『恋の奇跡』で、 本当にエゴイスティックでイヤな女を演 じているんです。 人の恋人も平気で取ってしまうし、自 分が手に入れたいもののためにはどんな 手段もとる女性。 でも自分で演じながら、 ここまで女のエゴや本音を丸出しにでき るというのは、ある意味ではすごいなと 思っています。 たいていの人は、感情のままに振る舞 うことを理性で抑えてはいるけど、心の 底では多かれ少なかれ、嫉妬したり、優 越感を感じたり、すべてを自分の思いど おりにしたいという感情ってあるはずで すよね。 いいだけの人っていないし、人 間の嫌らしさは誰だって持っている。 私 が演じている倉田雪乃みたいに、好きだ ったら人の恋人でも奪うことができたら どんなにいいだろうって、そういう気持 ちは誰でもあるだろうし。 雪乃は、自分 は何が欲しいのかがわかっているし、そ のために自分ができることはすべてやっ ている。 だからといって幸せになれるか というと、そうではないんですね。 でもあまりにも男性に対して「女」を アピールするので、演じていてちょっと 恥ずかしいことがあるんですよ。 「唇を 尖らして、上目使いで・・・・・」なんてト書 きがあると、「私がこれやるのか」って、 ちょっと赤面したり。(笑) 葉月さんと私が演じている二人の女性 は、二人とも心が弱い人なんだなと思い ます。 葉月さんが演じている妙子は、太 っていたというコンプレックスがあるせ いで、生き方にポリシーがもてないし、 必要以上に自分を卑下している。 私は性 悪女で、強く見えるけど、心の本質はき っと弱いんですよ。 そんなふうに、役を 演じることによって人間への理解が深ま ったり、自分の中に意外な内面を発見で きるのも、女優という仕事の楽しさかも しれません。 映画にせよドラマにせよ、観てくださ る人にとっては、面白いか、面白くない かがすべてですよね。 でも私たち作る側 の人間は、どんな時にあっても、志を高 く持たなければいけないなと思います。 まだまだ私は駆け出し。 これから先、女 優としてどういう生き方ができるか、自 分でもわからないけど、今できることを 常に精一杯やっていきたいですね。 将来 どうなるか。未来の自分を決めるのは、 今、この瞬間の自分ですから。 |
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